最近お客さんとの話や会社の雑談で聞くのですが、
なんでも近年海外駐在を希望する若手がとても少ないとか。
そして今日の日経でもまさにそんな記事。
一時期は出世街道の通過点とか処遇面でも相当恵まれていたのに、
石を投げれば留学経験者とか帰国子女に当たる時代になって、
会社命令で海外へいかせてもらえることがありがたいチャンスとは思えないらしい。
それに拍車をかけて、駐在員コストの削減とかで
処遇も貧相になるばかりで、日本を一時的に去ることで失う日常の生活に加え、
駐在中は激務の割りに見返りが殆ど無い、という認識が強くなっており、
駐在離れにますます拍車がかかっているよう。
私は日本の企業の事情も分からないし、駐在員の気持ちも分からないので
何が現実で、何がただの思い込みなのかわかりませんが。
日本企業はグローバル化を掲げて、
先進国はもちろん新興国への若手研修員とか増やしていますが、
そもそも、海外に人を送ればそれでグローバル化していくのか、
というのは確かに議論の余地があるかもしれない。
正直日本にいても国外にいても、どこで何をしていても
国境を越えた視点で物を見て考えて判断を出来る人はいるわけで。
一方で日本の外に住んでいても、インターネットを駆使して日本のテレビを見、
日本のニュースを聞き、日本の新聞を読み…。となると
海外にいながら志向の日本化がどんどん進むわけで。
私も日本人だらけの会社で働き、
日本人のお客様を回り、ってカナダからアメリカに移って以来、
どんどん日本化。英語が弱り、めちゃめちゃになっていたビジネス日本語が若干戻り。
ダンナがアメリカ人なので、アメリカ的な視点やオピニオンに触れることはありますが、
それは別にグローバルではなく、米国化しているだけとか。
少なくとも日本人ならこう考えるけど、アメ人はそうなのね、ちがうわね~
ってことは多々ありますが。
そういえば時間にうるさく、作業が細かく、まじめなドイツ人は
お仕事面で日本人ととても合う一方、どちらかというと口が達者なんだけど
やることは相当アバウトなアメリカ人と働く日本人にとって
毎日色々府に落ちない思いをすることが多いとか聞きますが、
じゃあそういう色々な人種とせっしてカルチャーに対する理解があって
若干お免疫が出来ていたらグローバル人材なのか。
と、ここまでくると、そもそもグローバルって何ぞや?ってなっちゃうかも。
ただ色々お会いするお客さんを見ていると
アメリカ人はアバウトとか、話を半分くらいしか聞いていないとか
なんだかんだと漏らしながらも、
きりきりしないで適当にうまくやっていくという術を身につけているように見えます。
ある意味タフで懐が深く、自分と違うことに対する許容量が大きい?
そういうのって海外経験からなのか、
単にいろんな経験を積んでいるからなのか。
そしてそれがグローバル人材なのか?
知恵蔵2010の解説の最初の一文。
これまで存在した国家、地域などタテ割りの境界を超え、地球が1つの単位になる変動の趨勢(すうせい)や過程。
そしてこの解説の最後は
これら経済のグローバル化は、実質的には米国の経済的優位に重なることが多い。その中で、グローバル化は資本の支配の貫徹であり、貧富の差を拡大し、環境と固有文化を破壊するという反グローバリズムの主張が力を増している。こうして、むしろマイナスの価値を示す言葉としてグローバル化が語られることも多くなり、言葉の二面性が強まっている。
Wikipediaには異義語としての解説で
「グローバル」と「インターナショナル」、「グローバリゼーション」と「インターナショナリゼーション(国際化)」という語は、意味する範囲が異なる。「インターナショナリゼーション」は国家と国家の間で生じる現象であるのに対して、「グローバリゼーション」は地球規模で生じるものであり、国境の存在の有無という点で区別される。
と、ここまでサーチしたら、やばい、訳わかんなくなってきました。
そもそもこのポストの始まりからグローバル化の話になること自体的外れなんじゃないかしら?!
すみません、超ランダムポスト、結論も何もないです、すみません。