うちのダンナの母親の病気です。
うちのダンナが修士号を取得しているころに発症したといってました。なので、10年以上前です。私が初めて義母に会ったとき(4年前くらい?)はすでに車椅子。ダンナ曰く、「なんだか歩き方がおかしいな」と思い始めてから1年以内にもう歩けなくなっていたといってました。
私は本人ではないので、そのつらさや大変さは計り知れないですが、彼女はいたって元気に見えます。最近太ったとか、うちの猫ちゃんたちはかわいいとか、そんなことは言いますが、歩けないことを嘆いたりすることはほとんどありません。もちろん私に遠慮?しているのかもしれませんが。
彼女の生活はもっともっとシンプルで、晩御飯がおいしかったとか、サンクスギビングに家族がそろってよかったとか、クリスマスプレゼントにダンナさん(うちの夫のお父さんですね)が買ってくれた指輪の石が小さいとか、そんなこと。
ただやっぱり車椅子なので、家のことは何もできず、病気のせいか環境のせいなのかちょっとボケが強くはなってます。
うちのダンナは厳しい人なので、「家にじっとしていないで、パートにでも出ればよいのに」と実際彼女に対しても言ったりします。きついな~とか思ったりもしましたが、ある意味歩けないからと特別扱いしない、車椅子を言い訳にするな、という感じです。彼女にしたら、病人だからもうちょっと優しくしてよ、と思いそうなくらいある意味厳しい態度…。実の親子ですからその変は任せますが。
若いころはジョギングしたり、ゴルフやったり、旅行いったりと、かなりアクティブな女性だったみたいです。
今は一日中家で過ごすことがほとんど。車が不可欠な田舎住まいで、運転ができないので単独行動は難しい。貧乏ウェストバージニアは歩道がない道路がほとんどだし、あちこちに段差もある。付き添いなしにはやっぱり外にも出にくい環境。
でも、見習うべきところは、自分に起こっている事実を、Factとして受け止めていることでしょうか。諦めでもなく、怒りでもなく、自分の両足は動かなくなってしまったので、代わりの足(車椅子)で生活している、以上。みたいな。
どこの誰にでも起こりえること。病気に限らずある日突然交通事故にあうかもしれないし。
このジョギングができるMomentに感謝、普通に仕事ができることに感謝、とか思います。
五体満足だろうが、不満足だろうが、良くも悪くも特別扱いされる必要はないし、普通の生活を送る権利があるし、そうすべきだ、ということでしょうか。