父の死

2年前から膀胱ガンを患っていた父が2009年3月30日に亡くなりました。がんが腸腰筋に転移し病院で施す治療がないと告げられてから約半年。ある意味ラッキーだと思うんだけど、治療法がないと告げられてから家に戻ることができ、10月に退院してから3月末までの最期の半年を自分の自宅で過ごすことができました。ガンという病気でむなしく病院で最期を迎える人が多い中、父が最期の大切な時間を自宅で過ごせてよかったと(もちろん治ればもっと良いんだけど)、本当に思います。私もこれまでにないくらいせっせと帰国を繰り返し…ほんとにクビにならなくて良かった…、家族全員が自分に何ができるのかを考え行動に移した貴重な6ヶ月になったと思います。

70歳目前だった父は本人はあと10年は間違いなく生きるつもりで、定年後いろいろやってたんだろうな、と思うととっても悲しくなります。NYへも絶対来るつもりだったと思うし、山もこれから本番って感じでのぼるぞーって気合入ってただろうし。プラハの旅行には私が通訳としてついていって、ヨーロッパの山登りまくって、夜はホテルで飲もうねーなんて、ひそかにこっちも計画していたし。あー書いてるだけで泣けてくる、ほんとに。

父が無くなってこちらに戻ってきた最初の一週間くらい、毎日夢にでてきたんだよね。詳しくは覚えてないのが多いんだけど、一つ鮮明に覚えているのがあって。それは別に普通の家の飲み会で、大きな座卓を家族と、昔からのご近所さんとか知り合いとかみんないて、いつもみたいに飲んでて、で「いやー楽しかったねー。」っていつもの酔っ払いデレ目で父が言ってるの。で私も「いやー、楽しかったよねー」って言ってて。寝てたけど覚えてるのが、寝ながら妙に幸せな気持ちだったこと。起きたときに「おおおー、すげーリアル」と思った久しぶりの夢でした。でも、こういう感じのリアルな夢ってためにみるのよね。キムタクが合コンで私をナンパしまくってる夢とかね。その夢のときも起きたときにこの上なく幸せな気持ちで「ああー、夢よ覚めないで」と思ったから。ま、リアルな夢はリアルよね。

そんな心の底で尊敬していた父がなくなって、私にできることって?きっと母を全力で助けてあげることなんだろうね、とか。遠くにいてろくに何もできないからそんなこと言う資格も無いけど。でも将来的に私とアダムがNYからもう少し広い家を持てるエリアに引っ越したら、うちの母親も来て住めばよいのにとほんとに思う。って母にも言ってみたら、あまり現実味なさそうでした。でも「そう言ってくれるその気持ちだけで本当に嬉しい」といつものようにしくしく泣いてました。私としては現実可能な、とっても良いアイデアだと思うけど。

今日は(も)酔っ払いなので取りとめないですが。何か残しときたくって。転勤族だった上に定年して暫くたっていた父には現在進行形でお付き合いしているお友達ってのは、ほんとに限られていたんだけど、なくなって暫くして。昔の同僚とか部下とか、ま、会社関係が多いんだけど、私も子供後頃に「あー、あのおじちゃんねー」と名前だけは知っていた人たちがたくさんお線香をあげに来てくれたみたいです。シンプルな私は、「最近私もいろいろひねくれた考え方とかしちゃうけど、やっぱり自分が死んだら悲しんで、懐かしんで、遠くてもお線香を上げに行きたい」と思ってもらえるような、そんな人生を過ごしたいと、ほんとに当たり前のことをじみじみ思ったりするのでした。

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